『夭折の資格ー僕だけがまだ生きてる、その意味が君が僕に教えてよ』

『夭折の資格』

統計的に人は人生で幾つの親しい死を見送るものなのか、僕は随分多くの夭折の瞬間に立ち会ってきたように思う。

  

そして慣れるということではなく、深くそのことにさわらないように心をセーブすることを覚えた。もう会えないと考えたり、あの頃の想い出とかを引っ張りだしてくると深い深い悲しみの淵に落ちてしまってどうしようもないからだ。

    

「最近あっていないだけ」そんな風に考える。ずっとそう考える。そうしたら不思議なことに本当にそう思い込む事ができた。

ただうっかり「そういえばどうしてるだろう?」と思い出すと突然頭を殴りつけられたように現実が甦り、一瞬にしてあの淵まで戻ってしまう。

   
  

僕の人生の中で触れないわけにいかない死がある。

それは13歳から17歳までを双子のように一緒に過ごした親友の『J』。

   僕等は自分たちが周りから理解されにくいことを感じていた。だがお互いのことはわかりあっていたと今も信じている。

   

僕たちは二十歳になる前に死ぬものだと思っていた。長くても30歳を越えることはないだろうと確信していた。

「人生は美しい人は若くして死ぬべきだし、そうでない人はできるだけ永生きすべきであろう」夭折の資格といったのは三島由紀夫だったと思う。

   

『J』は17歳で死に、僕はその倍以上を生きてきた。

   

  

『J』には考えられもしないことだろうけど、僕は今、年々高くなる厚生年金の掛け金に頭を痛めたり、生命保険に何口はいるべきかを悩みながら生きている。

そしてレンタルビデオの返却日を気にしたり磨り減ったタイヤを横目に騙し騙し一日を生き延びている。そんなところだ。

    

気に入らない相手には返事もしなかった17歳の僕とは違う。嫌な相手にもそんなそぶりはみせはしない。嘘だってつく。

こんな僕を見て『J』はつまらない大人になったと嘆くだろうか?

   

もう僕は酔っ払って電柱に登ったり、大声でLAYLAを唄ったりはしないんだ。

 自分の中にある矛盾や増えていく失ってしまったかけがえのないものをなんとかやりくりして、この心が壊れないように自分を励ましながら生きているんだよ。

     

   

いや、僕は今でもあの17歳の頃と何も変わっていない。あの頃抱えていた将来への不安や自分が何ものなのかを知りたいと思う気持ちに今も悩まされているんだ。今も僕はあの頃と同じように自分の未来をどうやって切り拓こうかとそればかりが心の大半を占めている。

  

J、お前が生きていたらきっとお前もこんな大人になっていたはずだと僕は思っている。そしてきっと僕の弱さやずるさ、卑怯さを許してくれた。お前は間違っていない、そう言ってくれ。

  

J、お前は気付いていたか?

誰もがその心の奥にそれぞれの地獄を抱えながらそれでもなんとか生きているんだよ

銀河出版舎

(〜僕だけがまだ生きてる、その意味が君が僕に教えてよ から抜粋)