『帰れないかも』ってどういう意味よ?

朝からすみません、衝撃の写真で

これは20年前、悪性リンパ腫で入院中の写真
一昨日、大掃除したら本の間から出てきました
  

 
髪の毛と眉毛がだいぶ伸びているのでもう退院前ですね
眉毛と前髪がなかなか伸びてくれず、
このままだったらどうしよう、と真剣に悩んでいました
 
   

当時、創業して5年、店が2階建てなので調子に乗って

1階で昼間はカフェ、夜はBARをやり
2階でデザイン事務所
   
この環境がロクなことにならないことは想像していただけると思います
 
  
打ち合わせと称して、昼間からビール、
夜はお客様と一緒に飲む
 
そのあと、デザインの仕事の締め切りに向き合う、
ほぼ徹夜・・
   
このルーティンを2日繰り返して無事デザイン完成!
仮眠して打ち上げで朝まで飲む。
  
翌日、打ち合わせと称して、昼間からビール・・・
・・・・
もうアホの極みです
   
   
ある時から飲むとやたらしんどい、でも酔ってるわけでもない
そして昼食後、ぐったりする
 
そうこうしているうちに顔以外の全身に発疹ができました
突然アトピーになったのかと思って皮膚科に通ってました
      
ある日の朝、右首筋にピンポン玉のような腫れに気づきました
  
痛みもないのに、なぜか、スッと血の気が引くような感じがしたのを覚えています
そのまま救急で病院へ
  
その腫れを見て、医局に残っていた医師が集まってきました
皆が怖い顔で僕の首の腫れを何度も押したりつついたりします
  
・・これヤバいの??・・と不安になる僕の耳元で
研修医のような一番若い医師が
「帰れないかもしれません」
   
なに?帰れないって?
なに?その不吉なつぶやきは・・
今日、帰れないの? それともこのまま・・ってこと?
  
その日のうちに入院が決まり、
1ヶ月間、検査を繰り返した結果、僕の心臓の真上で
悪性リンパ腫は握りこぶし位の大きさに育っていたのです。
   
   
おーい、店は?会社はどうすんだよ!
締め切りもいっぱい押し寄せてんだよ!
家賃もあるし、改装で借金もしたんだよ!
  
1997年 神田樹希、32歳の冬、クリスマス前の出来事です。
 
  
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Will Design株式会社 代表 神田樹希

『共同トイレ木造アパート』 やめる選択肢がない

今から26年前、1991年の26歳の冬、京都・上賀茂の木造アパートから僕の事業はスタートしました。

木造2階建て、トイレは共同。

その畳の狭い部屋にスタッフと3人で机を並べてました。

  

 

コピー機が欲しくて某大手メーカーさんの営業マンを呼んだら、目が泳いでました。

(ここ会社なんか?・・・)

     

   

あの頃は法人登記するのに資本金が1000万円、有限会社で300万円が必要でした。

今は誰でもすぐに会社を作れますね。

       

どっちがいいのだろう??

起業のチャンスが若い人にあるのは素敵だと思うけれど

簡単に手に入るものは簡単に手放せる。

起業して三年以内になくなる会社が90%を超えてることを考えると複雑です。

     

   

僕も最初は個人事業主でスタート。

ようやく資本金が用意できて有限会社を作った時はめちゃくちゃ嬉しかったです。

やっと本当の「社長」になれた瞬間です。だからやめることを考えたことがないのです。

     

   

創業の翌年、27歳で上賀茂の山の上から、思い切って御所北の駅近のテナントへと転居、

わずか5坪なのに家賃は4倍になりました。😲

それが今のWill Designの秘密基地スペースになります。

   

 

(チェック オン チェック 流行ってたんです、チェッカーズと同世代ですから・・)

 

 

 

よく聞かれますが、長く続けて来れた理由は一つだけ。

「やめる」選択肢を持っていなかったから!

  

僕は人生においても自死を考えたことが一度もありません。

頭をよぎったことさえありません。

  

以前「自分は生きててもいいのでしょうか?」と聞かれて 

「??質問の意味がわかりません」と答えた僕です。 

 

一年間入院した時も

手術を7回した時も

やめることは考えませんでした。

  

    

「やめる」選択肢を片手に握っている人とは何事も一緒にはできないと思っています。

もちろんスタッフは結婚や出産やそれぞれの事情で結果的にやめることはあります。

でも「やる」と「やらない」を天秤にかけてる人とはできない。

   

  

やるのか?やらないか?の質問ではなく、

「どうやるか?」

それだけを自分に聞いて走って来た26年です。

  

木造アパート時代を準備期間とすれば、

今月、創業25年に突入します!

  

52歳の僕は人生の半分が社長だったことになりますね。

  

 

 

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Will Design株式会社 代表 神田樹希

http://will-d.co.jp

『共同トイレ木造アパート』 やめる選択肢がない

今から26年前、1991年の26歳の冬、京都・上賀茂の木造アパートから僕の事業はスタートしました。

木造2階建て、トイレは共同。
その畳の狭い部屋にスタッフと3人で机を並べてました。
  
 
コピー機が欲しくて某大手メーカーさんの営業マンを呼んだら、目が泳いでました。
(ここ会社なんか?・・・)
     
   
あの頃は法人登記するのに資本金が1000万円、有限会社で300万円が必要でした。
今は誰でもすぐに会社を作れますね。
       
どっちがいいのだろう??
起業のチャンスが若い人にあるのは素敵だと思うけれど
簡単に手に入るものは簡単に手放せる。
起業して三年以内になくなる会社が90%を超えてることを考えると複雑です。
     
   
僕も最初は個人事業主でスタート。
ようやく資本金が用意できて有限会社を作った時はめちゃくちゃ嬉しかったです。
やっと本当の「社長」になれた瞬間です。だからやめることを考えたことがないのです。
     
   
創業の翌年、27歳で上賀茂の山の上から、思い切って御所北の駅近のテナントへと転居、
わずか5坪なのに家賃は4倍になりました。😲
それが今のWill Designの秘密基地スペースになります。
   
(チェック オン チェック 流行ってたんです、チェッカーズと同世代ですから・・)
 
 
よく聞かれますが、長く続けて来れた理由は一つだけ。
「やめる」選択肢を持っていなかったから!
  
僕は人生においても自死を考えたことが一度もありません。
頭をよぎったことさえありません。
  
以前「自分は生きててもいいのでしょうか?」と聞かれて 
「??質問の意味がわかりません」と答えた僕です。 
一年間入院した時も
手術を7回した時も
やめることは考えませんでした。
  
    
「やめる」選択肢を片手に握っている人とは何事も一緒にはできないと思っています。
もちろんスタッフは結婚や出産やそれぞれの事情で結果的にやめることはあります。
でも「やる」と「やらない」を天秤にかけてる人とはできない。
   
  
やるのか?やらないか?の質問ではなく、
「どうやるか?」
それだけを自分に聞いて走って来た26年です。
  
木造アパート時代を準備期間とすれば、
今月、創業25年に突入します!
  
52歳の僕は人生の半分が社長だったことになりますね。
  
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Will Design株式会社 代表 神田樹希
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